「社会の常識だろ」と言う言葉が嫌いだ。
あなたが「社会の常識だろ」と言う言葉を、取引先に、部下に、後輩に、同僚に言いそうになった時、一度考えて欲しい。
あなたが今「社会の常識」と思った「それ」は、本当に「社会の常識」なのか?
「社会の常識だろ」という言葉が嫌いだ。
「社会の常識」は社会よりもずっとずっと小さい「コミュニティ」の中だけで通じる共通のルール・マナー・方針ではないだろうか?
それは社会ではなくて、あなたのチームの、あなたの友人間での、あなたの家族の、あなたの会社の、あなたの世代の、あなたの職業の、あなたの業界の、あなたの街の、その中だけの「常識」じゃあないだろうか?
「社会の常識だろ」という言葉が嫌いだ。
「自分が属していないコミュニティの中だけで通じる常識」を「社会の常識だ」と言われることがあるからだ。
「このチームの方針だ」とか、「うちの会社のルールだ」とか、「このユーザーグループのモットーだ」と言う言葉は嫌いじゃない。
コミュニティーで明確に方針・ルール・モットーが決められているならば、それに準じて、考え、行動しよう。(もし問題があれば、その常識を改善しよう)
「社会の常識だろ」という言葉が嫌いだ。
それは「なぜそうなのか」という説明を放棄する言葉だからだ。
こういう歴史があり、こういうデメリットがあり、こういう見えない問題がある、そういう必要な説明をすっぱりと放棄する言葉だからだ。
あなたが、「社会の常識だろ」と言う言葉を、取引先に、部下に、後輩に、同僚に言いそうになった時、一度考えて欲しい。
本当にそれは「社会の常識」なのか?もっと小さなコミュニティでの常識ではないのか。
「社会の常識」ではなくて、「このチームの方針だ」とか、「うちの会社のルールだ」とか、「このユーザーグループのモットーだ」とか言い換えられないだろうか。
「社会の常識」と言う言葉で、必要な背景や理由の説明を放棄していないだろうか。
「あなたの常識」は「相手の常識」とは限らない。
「社会の常識だろ」という言葉が嫌いだ。